逆境こそチャンス。「ウェスティン」繁栄の礎を築いたホテルマンたち
米国でホテルコンサル業を営むケニー・奥谷さんが、海外の高級ホテルやその創業者たちの偉大な業績を紹介する当連載。今回取り上げるのは、一時は日本企業が買収していたことでも知られる世界的なホテルチェーン「ウェスティン・ホテルズ&リゾーツ」のこれまで。瀕死の状態だった弱小ホテルがタッグを組むことで、世界恐慌の荒波を乗り越えることができたという創業当時の話から、ウェスティン中興の祖である名ホテルマンのエドワード・エルマー・カールソンが成し遂げた偉業、そして近年のプラザホテルを巡るドナルド・トランプ氏との攻防まで、リアルな筆致で綴っていきます。
【第1回】逆境に打ちかった不屈のホテル王「ヒルトン」が残した教訓
【第2回】誰もが旅を楽しむ時代をいち早く見据えていた「近代ホテルの父」の生涯
【第3回】志半ばで倒れたホテル王「セザール・リッツ」の成り上がり人生
【第4回】世界のホテル王「ヒルトン」はいかにして世界大恐慌を乗り越えたのか
ホレイショ・アルジャー賞
1975年、シカゴ。
「おめでとうございます!」
秘書のサリーが花束を差し出した。
「ありがとう」
エディ―は苦笑いをしながら花束を受け取った。
「こんなことを言ったら失礼かもしれませんが、ホレイショ・アルジャー賞はエディーさんにぴったりの賞ですね」
「どうして?」
「若い頃の逆境を跳ねのけて、社会のために大きく貢献した人に与えられる賞ですから」
「私が若い頃に苦労したことを知っているのかね?」
「もちろんです。私は秘書ですから、上司のことならなんでも。ワシントン大学の学費を稼ぐために、ホテルでベルボーイをやっていたこと。でも残念ながら、お金が足りなくて卒業できなかったことも。あっ、失礼しました」
サリーは右手で口を押えるサリーを見て、エディーはメガネ越しに目を大きく開いた。
「怖いなあ」
エディーは机の上に置かれていた写真立てをサリーに向けた。サリーはそれを手にとって、首を左右に傾げながら眺めた。
「これはシアトルのエキスポ会場の写真ですよね。エディ―さんがデザインしたスペース・ニードルもここに写っていますから。なんと言っても、シアトルのシンボルですから、すごいです!」
「これを見る度に、一人の男を思い出すんだ」
「誰ですか?」
「ミノル・ヤマサキという建築家だ。1962年のエキスポでは、サイエン・スセンターを設計したんだ。彼は1964年に早々とホレイショ・アルジャー賞を受けている。私と同じ年代で、やはりワシントン州出身だった。たまたま、ワシントン大学で同じ日本語講座を受講したことがあるんだ。私は卒業できなかったが、彼は首席で卒業した秀才だった。学費を稼ぐために、アラスカにある鮭の缶詰工場で仕事をしていた苦学生だった」
「へえ~、そんなすごい人がいたなんて、知りませんでした!」
「あのニューヨークにある世界一高いワールドトレードセンターも彼が設計したんだよ」
“パン”とサリーは手を叩いた。
「わかりました! 日系人の建築家ですね! 先日、新聞で読みました。柱を全く使わずに、敷地面積を最大限に利用できるようにしたうえに、あの高層ビルをあっという間に上る高速エレベーターを考えだした建築家ですよね」
エディーは頷いた。
「なによりも、この白人男性優位の社会において、アジア人がアメリカを代表する建物の建築を任されたんだ。“快挙”としか言いようがない。ちなみに、我が社のホテル部がロスアンゼルスで運営している“センチュリープラザ”も彼が設計したんだよ。オープン当時は、世界でもっとも美しい形をしたホテルと称賛されたんだ」